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縁起

縁起

縁起

 江戸時代名所図絵に「慈眼山萬福寺馬込村にあり、曹洞宗の禅林にして本尊は自然銅阿弥陀、観音、勢至、一光三尊なり。相伝う当寺は梶原平三景時創立の梵寺なり」とあります。当寺は鎌倉時代の初期、建久年間(1190年頃)に梶原景時が将軍源頼朝の命により、大檀那となり、梶原家相伝の阿弥陀如来三尊仏を本尊として、大井丸山と言う処に建立されたのが始まりです。
 元応二年(1320年)に火災にあい、景時の墓所のある馬込へ移され再建されました。
 室町時代末期になり、寺域が荒廃し、天正三年(1575年)に相模鎌倉の禅僧明堂文龍大和尚によって、従来の密教寺院から曹洞宗に改め再興されます。

 江戸時代の初期、慶長十一年(1606年)に梶原家の後胤、安部家久が梶原一白斉、助五郎の逝去に当たり、荒廃していた開基梶原景時の墓と共に一白斉の墓を建立し供養しました。
 創建以来八百余年、その間栄枯盛衰を極めるも法灯連綿、正法脈々として今日に至っています。