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室生犀星と萬福寺

室生犀星について

室生犀星(1889~1962)は明治二十二年(1889)に金沢で生まれました。

昭和三年(1928)に上京、馬込町谷中に居を構えて創作活動に没頭します。

しかし湿地帯であったことから家族の健康に影響が出ると考えた室生犀星は、昭和七年(1932)に馬込町久保763番地に新築転居しました。

昭和三十七年(1962)でお亡くなりになるまで、室生犀星はこの地で数多くの著作を生み、近隣の小学校の校歌作成などにも携わりました。


室生犀星について
もっと詳しく知りたい方はこちら(ウィキペディア)へどうぞ

萬福寺と室井犀星

画像は犀星の作品の一つ「陽炎」の石碑


詩集 青き魚を釣る人 より

春の寺


うつくしきみ寺なり

み寺にさくられうらんたれば

うぐひすしたたり

さくら樹にすずめら交り

かんかんと鐘鳴りてすずろなり。

かんかんと鐘鳴りてさかんなれば

をとめらひそやかに

ちちははのなすことをして遊ぶなり。

門もくれなゐ炎炎と

うつくしき春のみ寺なり。






室生犀星の作品である「春の寺」

実はこの中で何度も出てくる「うつくしきみ寺」というのが萬福寺になります。

室生犀星が引越しをしてきた「馬込町久保763番地」というのが、萬福寺の隣であり裏参道口の真横に位置します。

創作活動の傍ら、「春の寺」からも分かるように時折、萬福寺の境内に立ち寄ってはおままごとをして遊ぶ子供たちを優しいまなざしで見守っていたのではないかと思われます。
こちらは「笹鳴」という作品の石碑
室生犀星の旧居を移築するという事になった際、

萬福寺は旧居の庭にあった石を二つばかり譲っていただけることになりました。

この譲り受けた石に、特に馬込と縁の深い作品を二つばかり刻まさせていただき安置させていただきました。

三本あった桜の大木は残念ながら二本となってしまいましたが、今でも室生犀星が詩に詠んだ情景に限りなく近い境内をご覧いただけるかと思います。

※ なお、句碑に建立等の詳細につきましては「萬福寺だより33号」(「萬福寺だより」にリンクしております)の2ページ目に掲載しております。よろしければ、合わせてご参照くださいませ。