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境内散策

木原義久の墓

木原家は徳川家の木工頭でした。
元は尾張にありましたが家康の上洛と共に江戸に入り、大森山王高台を木原山として所領し、邸を構えて永く江戸幕府の棟梁をつとめました。

  一、日光東照宮の奥ノ院及び御廟

  二、上野寛永寺の徳川家御廟

  三、浅草寺の旧本堂

  四、上野東照宮の社殿

  五、赤坂の山王日枝神社旧本殿

 等が代表的なもので現存のものはすべて国宝・重要文化財となっています。
一族のうち義久、義永の二代が最も有名でありますが、その後幕末まで地頭、代官をつとめていました。

日待供養塔

 この供養塔は、寛永十五年(1638)に馬込村の人々が造立しました。
高さ3.1メートル。現在は新しい礎石の上に乗せられています。
近世初期によく見られる形式です。

昭和三十年頃まで、中馬込三丁目付近の梶原塚に建てられていました。
馬込では大正期まで日待の習俗が行われており、江戸初期から現代まで伝承された民間信仰の資料として貴重です。

日待信仰とは
 日待とは、ある特定の日に同じ信仰を持つ人々が集まって、日の出を待ちながら一夜を明かす行事のことをいいます。


江戸時代にはこうした日待の民間の信仰が、全国各地で盛んに行われていたのだそうです。
日待供養塔は、かつてその付近でこれらの信仰が存在していたことを今に伝えるものです。